「新宿混声合唱団」の来年の定期演奏会は
「創立50周年記念演奏会」と銘打ち、
2016年5月22日(日)に新宿文化センター大ホールで開催されます。
「創立50周年記念演奏会」では、3つのステージで構成されていて
そのひとつ、
混声合唱曲「岬の墓」(作詞:堀田善衛、作曲:團伊玖磨)
の演奏を行う予定で、現在、音取りが終わったところです。
合唱曲「岬の墓」は、いくつかの楽曲が
全体として一作品となるように作られた「組曲」ではなく
「岬の墓」という1曲(演奏時間約14分程度)として
楽曲が構成されています。
人生の姿を、“過去”“現在”“未来”と表現し
永遠に解き難い人生の謎を考えさせる楽曲のように思えます。
作詞の堀田善衛氏は
昭和38年(1963年)の夏から秋にかけて蓼科高原で書き上げ
作曲の團伊玖磨氏は、八丈島の書斎で作曲をしたそうです。
さて、今回は
この混声合唱曲「岬の墓」の作曲者
團伊玖磨氏を取り上げたいと思います。
↑團伊玖磨氏
大正13年(1924年)4月7日に
東京・四谷の慶應病院で生まれ、原宿で育ちました。
父の團伊能は男爵であり
東京帝国大学文学部美術史学科助教授、参議院議員、
プリンス自動車社長、九州朝日放送会長を歴任。
母の美智子は宮内省大膳頭を務めた上野季三郎の五女。
妹の朗子はブリヂストンタイヤ(現ブリヂストン)会長
石橋幹一郎に嫁いだのであった。
(元内閣総理大臣の鳩山一郎・鳩山由紀夫も遠縁の親戚)
↑家系図
こうした環境で育った團伊玖磨氏は、
青山師範学校附属小学校(現・東京学芸大学附属世田谷小学校)に入学し
ピアノを学び始めたという。
ところが、入学の翌年3月
祖父・團琢磨(三井合名会社理事長、男爵)が暗殺された
(血盟団事件/(注)参照)ことで、
幼心に、高い地位、身分を得ることや
出世をすることへの疑問を抱くようになり、
後に芸術を志す動機のひとつとなったと言われている。
(注)右翼による政治経済界の指導者を暗殺した連続テロ事件
↑祖父・團琢磨氏
その後、青山学院中学部に入学、昭和17年(1942年)に
東京音楽学校(現・東京藝術大学)作曲部・作曲科に入学しました。
学校では、近代和声学、対位法、管弦楽法、楽式論などを学び
また学外では山田耕筰(童謡 赤とんぼなど作曲)に指導を受けました。
この当時、団伊玖磨氏が12歳の時であり、作曲を志す
息子の将来を案じた父伊能氏が伊玖磨氏を伴い山田耕筰氏を訪れ、
耕筰氏に作曲の道が険しいことを説いてもらって
作曲家を断念させようとしたのでした。
ところが、耕筰氏は
「やり給え、そして、やるからには、
最も正統的な勉強を積んで、最も本格的にやり給え」
と激励したエピソードが残っています。
この事で伊玖磨氏は作曲の道で生きていく決意を固めたと言われています。
また、生涯、耕筰氏を師と仰ぐことになりました。
そして、在学中の20歳になった、昭和19年(1944年)には
陸軍戸山学校軍楽隊に入隊し、バスドラムを担当したという。
芥川也寸志氏と共に軍楽隊用の編曲も担当し、貴重な体験を得たという。
そして、東京音楽学校を無事に卒業した後
歌曲集「六つの子供の歌」、管弦楽付き独唱曲「二つの抒情詩」
(村の歌)(小諸なる古城のほとり)を作曲し、
日本音楽連盟委嘱コンクールに入選しました。
その後、昭和23年(1948年)にはNHKの専属作曲家となり
そして翌年には、あの有名な
木下順二作品の民話劇『夕鶴』の演劇付帯音楽を作曲しました。
その後「管弦楽」「室内楽」「合唱曲」とジャンルは多岐に渡っており
オペラや交響曲の他に地方の団体歌や
校歌なども数えきれないほどの曲を作曲しています。
ところが、平成9年(1997年)9月3日に急性心筋梗塞を起こし
約1ヶ月間入院しました。
そして、平成13年(2001年)5月17日、
日本中国文化交流協会主催の親善旅行で、中国旅行中に心不全を起こし
江蘇省蘇州市の病院で死去したのでした(享年77歳)
團伊玖磨氏の他のエピソードで
大のイヌ嫌いであり、無駄に吠えるイヌには
それがたとえ友人の飼い犬でも容赦せず体刑を加えたという。
好きな動物はヘビ。自宅で飼育していた大蛇が息子の喉に咬みついて
大怪我をさせたこともある。
戦後まもなく、太宰治の作品を愛読していたため
友人の北山冬一郎(詩人)の紹介で太宰に会う話が持ち上がった。
しかし、“ダン”という苗字から檀一雄を連想した太宰が
「ダンという名前なら大酒飲みだろう」と言ったところ
北山が「いや、実は一滴も飲めないんです」と答えたため、
太宰が「酒も飲めない奴なんかに用はない」と断った。
そのため、とうとう太宰に会うことができなかったという。(笑)
こうした人間像のもと作曲した「岬の墓」を
しみじみ味わいながら練習を重ねていきたいと思います。(笑)
では、また!
コメント
岬の墓、とても美しいメロディですよね。詞の世界観とマッチして、歌っていて気持ちの良い曲です(^^)
学校の授業でやった合唱では、曲を作った人物の背景に思いを馳せる事まではしていなかったので、色々勉強になります。聴いてくださる皆さんにも伝わるよう、練習頑張ります!
元団員のやぎです。
大学合唱団時代の常任指揮者が團伊久磨先生と親しかったこともあり、4年間で「海上の道」「大阿蘇」など筑後川系列の組曲をよく歌いました。
團先生の曲はどれもダイナミックで歌っていてとても気持ちいいですよね。「岬の墓」は残念ながら歌ったことがないのですが、ベースの第1主題とソプラノ・アルトソロの第2主題は本当に美しい旋律でお気に入りです。いつか歌ってみたいと思っていたのにまさか新宿混声でやるとは・・・
新宿混声がこの曲をどう表現するのかいまから楽しみです!
やぎさん、お久しぶりです♪
そーなんです、岬の墓、まさに合唱の王道のような曲を新混で歌っています!
今回は日本語の曲ばかりが選曲されていますが、やはりそれぞれに難しい…
これからじっくりと歌い込んで、美しい曲に仕上げていけるよう、頑張っていかなくては!
岬の墓は大海原をイメージさせる曲で大好きです。
聴きにきてくださるお客様にもそのイメージを想像していただけるよう、
練習も頑張ります!!ヽ(^^)(^^)ノ♪