グノー「Missa in C」の練習を開始します

次回の第52回定期演奏会は、2019年5月26日(日)に
新宿文化センター 大ホールで開催いたします。

来年の定期演奏会は4ステージ構成で、来週から
「Missa in C」作曲:Charles F.Gounod(グノー)
の音取りが始まります。
そこで、グノーについて調べてみました。

先ずは、グノーの作曲で有名な
「操り人形の葬送行進曲」という曲をお聴き下さい(4分33秒)

演奏:スウェーデン王立空軍軍楽隊/指揮:イェルケル・ヨハンソン
Royal Swedish Airforce Band / Jerker Johansson (Conductor)

きっと聞いたことがあるメロディですヨ。

どうでしたか?・・・若い方はご存知ないかと思いますが…
そう、1950年~60年代にテレビ映画シリーズとして
『ヒッチコック劇場』のテーマ曲として流れていました。

実は、お恥ずかしい話、
このグノーを調べていて初めて知ったのですが、
『ヒッチコック劇場』のテーマ曲はオリジナル曲だと思っていました(笑)

さて、シャルル・フランソワ・グノー(Charles François Gounod)は
1818年にパリで生まれ、今年でちょうど生誕200年となります。

『フランス近代歌曲の父』とも呼ばれ、美しい旋律、
色彩感に満ちたハーモニーを伴った優雅でやさしい音楽は
今日も世界中から広く愛されています。

グノ―は、ピアニストであった母から音楽の手ほどきを受けたのが
きっかけで、音楽の才能を開花させ、1835年にパリ音楽院に入学し
音楽理論や作曲を学んだそうです。

↑パリ音楽院

卒業後、2年間のローマに国費で留学の後、1843年にパリに戻り
サン・トゥスタッシュ教会の聖歌隊楽長兼教会オルガニストとなりました。
1949年、バチカンが実質的な国歌としてグノーの
『賛歌と教皇の行進曲』を採用しました。

1850年(32歳)、後に大画家となる当時23歳のルノワールが
グノーの聖歌隊に数年間所属しており、
歌の才能を見込んだグノーが声楽を教えていたそうです。
グノーはルノワールの両親に「息子さんをオペラ座の合唱団に入れましょう」
と提案したが断られた、という逸話も残されています。
もし、ルノワールが歌手になっていたら、大画家は誕生しなかったかもしれず
両親が断って正解だったかもしれませんね(笑)

1859年のオペラ『ファウスト』(Faust)でようやく大成功を収めました。
この作品は今日でも最も有名なグノー作品ですが、
他にもシェイクスピア原作のオペラ『ロメオとジュリエット』(1867年初演)も
また定期的に上演・録音がなされています。

1870年から1875年まで、グノーは戦乱を避けてイングランドにで過ごし、
のちの王立合唱協会(ロイヤル・コーラル・ソサエティ)の首席指揮者を務めました。
この頃から、グノー作品の多くが実質的に声楽曲や合唱曲となりました。

グノーは後半生において主に宗教曲を手掛けていますが、
中でもバッハの『平均律クラヴィーア曲集』第1巻第1曲の前奏曲に
旋律をかぶせた『アヴェ・マリア』は有名であり、
『グノーのアヴェ・マリア』と称されています。

そしてグノーの2つの交響曲はハイドンやモーツァルトらの作品を
熟知した上で作曲されており、この2曲は、また16歳のビゼーが
交響曲ハ長調を作曲する上でも手本となったそうです。
また、グノーは、友人であったメンデルスゾーンと、
彼の姉ファニー・ヘンゼルから影響を受けたとも言われています。

1893年(享年75歳)、パリ郊外のサン=クルーで逝去し、
墓所はメトロ9号線のExelmans駅の南にあるオートゥイユ墓地の
メインストリートにあるグノー家の霊廟の中に眠っています。

1894年11月24日、他界した翌年に『ファウスト』が日本で初演され、
日本で最初に上演されたオペラであり、11月24日が「オペラの日」となりました。

それでは最後に、新宿混声合唱団のボイストレーナーをやって頂いている
大網かおり先生と渡邊仁美さんとのソプラノ二重唱で
「グノーのアヴェマリア」をお聴き下さい。

では、また!

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コメント

  1. でんけん より:

    今回も勉強になりました。時間短縮だけでなく、自分では調べられない事まで知れました。
    ボイストレーナーの大網先生の素晴らしい歌声まで聞けて・・・。
    歌っていて、今までのミサとは少し違う感じがしていましたが、知識を得て、想像が膨らみそうです。
    軽快に、GloriaやCredoを歌いたいなと思っています。