「岬の墓」の思ひ出

どうも、幽民です。

毎日寒いですが、今週に入り小春日和になって少し暖かい日が出てきたと思ったら、昨日、今日と昼の気温が何と20℃越え…
暑い!暑い!春を通り越して初夏の気温…
調子狂うな…
この時期に温かくなると、悩ましいのがスギ花粉の噴出、飛散…
月曜日に仕事で千葉の山中に行ったら、おびただしい数の赤茶色に色付いた杉の林、林、林…
あ゛あ゛あ゛~(TiiT)…早く終わって消えて欲しいなあ…


来る5月22日(日)の創立50周年記念演奏会のチラシができました!!!

新宿混声合唱団創立50周年記念演奏会チラシ

 
皆様、今からスケジュール、要チェックですよ!!
どうぞおいでませ。。。

さて、その50周年記念演奏会で演奏する曲目の中に、團伊玖磨の「岬の墓」があります。
(今、「だんいくまの」と変換しようとしたら「段位熊野」になってもうた…(意味不明…)

個人的には今回でこの曲を歌うのは3回目になります。

最初に歌ったのは1989(平成元)年、学生の時に私が属していたエリカ混声合唱団という旧都立大の大学合唱団の25回記念演奏会で、2回目は2003(平成15)年、当団の36回定演でした。勿論、指揮はいずれも田中登志生先生でした。

最初に歌った時のお話をしましょう。
私は当時合唱団で4年目、Bassのパートリーダーをしており、毎日合唱のために大学に通っていたような生活でした(笑)。
「岬の墓」の練習を進めて行くうちに、この曲のしっかりした作りにハマりました。
作曲家の團伊玖磨については、いぜんおいちゃんが詳しく書いて下さいましたのでここでは略しますが、当時演奏会のプログラムの曲目解説を学生指揮者やパートリーダーからなる技術者会のメンバーが担当しており、私が「岬の墓」の曲目解説を担当し、次のようにしたためました。

(当時のプログラムから引用)
仄暗く存在する過去=「白い墓」、現在=「海」、未来=「水平のその彼方」、これら三つの世界を漂う存在としての自己を「白い船」に例え、それらを見つめる絶対的な存在として「赤い花」がある……この堀田善衛による「岬の墓」の詩については、以上のように解釈されて来ている。

また、この詩が作られたのが1963(昭和38)年、戦後20年弱経った高度成長期に入った頃であった。その為、輝かしい未来に向かって邁進する我々日本人(=「白い船」;“日本丸”とでも言うべきものであろうか)に対し、第二次大戦という過去の忌まわしい過ちを忘れずに、そしてそれを二度と繰り返すことのないよう、「赤い花」が間接的に警告を発しているのだ、という見方も大いになされている。「紺碧の空から舞い下りて/水に休らう美しい船」といく表現から、この「船」が戦後生まれの、戦争体験のない人々を指し、そういった若い人々に対し特に注意を促している……作詩者の狙いはまさにそこにあるのであろう。

團伊玖磨はこの詩に曲を付けるに当たり、「あらゆる表面上の製飾(デコレーション)を排除」し、「骨格を重視した、簡潔な手法を執った」と述べている。この「単なる抒情でもなければ描写でもない」(團)、哲学的な深い意味合いを持つ詩に対する妥当な選択であった。(後略)

文中で「という見方も大いになされている」と言い方をしたものの、実は自分自身の見解でもありました。
プログラム上であまり断定的な言い方をするのもどうかという考えがあったのでしょう、他者から引用のようにまとめてしまいました。

改めて26~27年前の文章を読み返して思うことは、我々が乗っている「白い船」はこれからどこに向かうのだろう、誤った航路を辿りはしないか、またそもそも進むべき航路とはどういうものだろう…昨今の世界・日本を省みてそういう思いが交錯しています。

 
また、大学合唱団の25回記念演奏会はその創立30周年の記念でもあり、国枝春恵さんに「夕の虹」という曲を委嘱初演したりと企画が盛り沢山でしたが、やはりメインステージの「岬の墓」を、OB・OG合同で一緒に歌ったのが一番の印象深い思い出となっています。
当時の現役50名強に対し、OB・OGも30~40名近く参加し、総勢で100名近くで歌ったのではないかと思います。
その中でも、当時の我がBassは現役15名程に15~20名のOBが加わり、それで「ひーはーたーかーくー」などと張り上げ、他パートと比して非常に音量的に際立ってしまったというのも今となっては笑い話となって思い起こされます。

 
同じ曲を再演する場合、それが初演の際に特に思い入れを持って練習し、演奏した曲の場合、その当時と同じ思い入れで歌えるか、その時のエネルギーを感じて歌えるか、というのが常に課題として付きまとって来ます。
新宿混声に入って満24年、即ち25年生になりましたが、13年前に36回定演の際に再演した時も、過去に歌ったことがある曲なので、それなりのアドバンテージをもって練習、演奏したつもりでも、何か初演した時の新鮮味、緊張感というものがもっとあっても良かったのではと思っています。

創立50周年の晴れ舞台でその新鮮味、緊張感(勿論いい意味で)、それに加えて演奏経験のアドバンテージを出せるか…少ない限られた練習時間で見つけていきたいと思っています。
ぜひ、“「岬の墓」は新宿混声の十八番”と呼ばれるような良い演奏をしたいですね。

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コメント

  1. やぎ より:

    元団員やぎです。
    「岬の墓」私も大好きです。私も学生時代の4年間で「海上の道」「大阿蘇」という團伊久磨作品を歌いそのダイナミックな曲作りに魅了されていました。
    冒頭ベースが歌う主題、中間のSop.Altソロの第二主題(なのかな?)あたりは本当に美しいメロディです(森正指揮、東京混声のCDをいま聴いているところ)。
    今年の新宿混声のプログラムは私がかねてから歌いたかった曲ばかりです。転勤で退団してしまったことが残念でなりません・・・そのぶん演奏会では神経を研ぎ澄まして拝聴いたします!みなさん頑張って下さいね。

  2. にょぎ より:

    やぎさん、嬉しいコメントをありがとうございます♪
    私も、やぎさんと一緒に、岬の墓も光る砂漠も歌いたかったデス!!
    聴いてくださるかたに、この曲の感動が何とか伝わるように、これから
    練習も最終段階に入っていきますので、更に頑張りたいと思います!

  3. ひろりん より:

    やぎさん

    いつも、新混のこと気にかけて下さり、ありがとうございます!
    良い演奏をお聞かせできるように、頑張って練習しますね。

    そうですよね。「岬の墓」は学生時代に合唱に関わった人なら、一度は聴いたことのある懐かしい曲ですよね。
    私は、学生時代は女声合唱団でしたので、某WS男声合唱団やW大学グリークラブの
    演奏会に毎年行ってました。その中でも、「岬の墓」は大好きで、初めて聴いた時は
    感動して、涙が出そうでした。
    でも、残念ながら、この曲は女声合唱が無いので(ありませんよね?)、一生歌うことは無いだろうと諦めていました。
    ところが、この度、混声合唱で歌えることになりました。
    合唱を辞めないで良かった!って、心から思いました。

    数十年前の感動を思い出しながら歌いたいと思います。