ルネサンス音楽の巨匠パレストリーナとは?

新宿混声合唱団は、2020年5月24日(日)に新宿文化センターで開催の第53回定期演奏会に向けて練習に励んでいます。各ステージは下記の通りです。

1.混声合唱組曲「島よ」
作曲:大中恩 作詞:伊藤海彦

2.「ジプシーの歌」Zigeunerlieder
作曲:Johannes Brahms(ブラームス)

3.「Missa Brevis」
作曲:Giovanni Pierluigi da Palestrina(パレストリーナ)

4.混声合唱とピアノのための「中島みゆき」
「時代」「宙船」「地上の星」「糸」
作曲:中島みゆき 編曲:信長貴富
(ステージ順・曲順は未定です)

この4ステージの中で、これまで3ステージ分の音取りが終わり、残るはパレストリーナのミサ曲「Missa Brevis(ミサ・ブレヴィス)」となりました。

パレストリーナと聞いても、これまであまり馴染みがなく、どういう作曲家なのか興味を持ち今回は「パレストリーナ」について調べてみました。

ジョヴァンニ・ピエルルイージ・ダ・パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina)は、1525年頃の出生で、イタリア・ルネサンス後期の音楽家と言われています。一般には略して「パレストリーナ」と呼ばれていますが、ジョヴァンニが名、ピエルルイージが姓となり、パレストリーナは生誕地の地名です。カトリックの宗教曲を多く残し「教会音楽の父」とも言われています。生誕は1525年頃と定かではなく、当時はローマ教皇領であったローマ近郊の町、パレストリーナに生まれました。

↑上写真:生まれ故郷の町の広場に立つパレストリーナの像

↑下写真:古代ローマの聖地バレストリーナ

【パレストリーナ年表】
1525年頃、パレストリーナで出生。
1537年12歳頃、ローマのサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂の聖歌隊員となる。
1544年19歳頃、パレストリーナのサンタ・ガーピタ大聖堂のオルガン奏者に就任。
1551年26歳頃、バチカン市国サン・ピエトロ大聖堂のジュリア礼拝堂の楽長となる。
1555年30歳頃、ローマのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の楽長に就任。
1561年36歳頃、ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の楽長に就任。
1571年46歳頃、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂に再び就任。
1594年68歳頃、逝去。

イタリアの15世紀というと、国はローマ教皇のお膝元として教会音楽の中心地でありながら、 その主要なポストは フランドル地方(北フランスとベルギー付近)から招いた音楽家によって占められており、イタリア出身の宗教音楽家が活躍することは殆どなかったそうで、16世紀の後半に入って、 ようやくイタリア人の音楽家が台頭してくるのですが、 その第一に挙げられるのがパレストリーナであったそうです。

パレストリーナは、こうしてフランドル伝統の教会音楽に影響を受けてポリフォニー様式の作曲家として名声を得たのでした。

(注)ポリフォニー(polyphony)
複数の旋律やリズムが同時に並走している音楽で、現代で主流のホモフォニー(一つの旋律に対して和声的な伴奏がつく)音楽とは異なり、和音はあくまで旋律が重なった上での副次的なものという捉え方となっています。

パレストリーナが頭角を現したのは、前述の年表にあるように、1544年から1551年にかけて、郷里で最も大きなサンタ・ガーピタ大聖堂のオルガン奏者を務めた時で、この時期に、初めてイタリア半島出身者が「ミサ曲集」を出版したのでした。

「ミサ曲集」の出版当時、パレストリーナ教区の司教は、のちのローマ教皇ユリウス3世となった人物であり、「ミサ曲集」は彼に非常に良い印象を与えたとして、1550年に教皇となった際にはパレストリーナをジュリア聖歌隊の楽長を指す「マエストロ・ディ・カペッラ」に任命したのでした。ジュリア聖歌隊とは、サン・ピエトロ大聖堂の聖堂参事会会員で構成される合唱隊です。

↑サン・ピエトロ大聖堂

なお、個人的には1570年代の10年間は身内に不幸が続きました。弟、音楽家として成長していた二人の息子、そして妻を、それぞれ1572年、1575年、1580年のペストの大流行で亡くし、パレストリーナは失意に陥り、一時期は僧侶になることも考えたそうですが、その後、裕福な毛皮商の未亡人と再婚したことで、経済的な独立を得ることができ(聖歌隊の楽長は名誉だけで給料は十分ではなかった)、亡くなるまで生活に困ることなく作曲し続けることができたそうです。

パレストリーナの作品の大部分をなす教会音楽は、均整のとれた構成で、静かに流れる大らかな旋律で、荘重で厳粛な典礼性を有しています。グレゴリオ聖歌に次ぐ典礼音楽の模範となっています。作品はミサ曲105曲、モテット375曲、マニフィカート35曲、宗教的マドリガル50曲、世俗的マドリガル90曲に及びます。ほとんどの作品が無伴奏合唱音楽の形態を持ち、4〜5声部が一般的です。

来年5月24日の当団の定期演奏会で演奏する無伴奏のパレストリーナ「Missa Brevis(小ミサ曲)」は、4声によるもので、1570年に出版されたミサ曲集第3巻に収められています。

パレストリーナは、1594年にローマで胸膜炎を罹り68歳でこの世を去りました。
棺には「Libera me Domine(主よ、われを解き放ちたまえ)」と掘られた鉛の板が付けられていたそうです。そして、埋葬の際には、ローマの全ての聖歌隊が参加していたと言われています。

ルネサンス音楽の巨匠パレストリーナが如何に偉大であったかが良く分かりました。

では、また!

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