初めまして!

毎年楽しみにしているキンモクセイの香り。 今年は9月28日に香り出したのですが(休日練習があったので覚えている)、その後の天候があまり良くなかったせいか、あっという間に散っていました。 来年まで待つしかないか・・・と残念に思っていましたら、なんということでしょう この週末、再び香っていますよね
2回も楽しませてくれてありがとう、キンモクセイ

さて、ひと月前からバッハのモテット3番の練習に入り、音取りに苦しんでおります
まだほとんど歌詞を付けておらずアーとかラーで歌っているのに、メロディーがスムーズに出てこない。 ここまで大変だとは思いもしなかった。 バッハ、恐るべし!(私、初バッハです
毎日 「嫌いにならない、嫌いにならない、嫌いにならない!」 と自分に言い聞かせるのが日課になりました。
来年の定演では、絶対余裕を持って歌ってみせるぞー

この1ヶ月、こうしてバッハで頭がいっぱいだったわけですが、今週末18日(土)の「音楽・コーラスのつどい」に出演するため、先週と今週の練習は「心の四季」に戻りました。
そして先週は、本番ピアニストの久野圭子先生との初合わせ
とても歌い易く私たちをリードしてくださいましたが、久しぶりだったせいで必死で歌っていた感じ。 明日はキチンとピアノに乗って歌いたいな。

ところで、皆さんは  “みずすまし”  という生き物をご存知でしょうか?
「心の四季」 の2曲目に 『みずすまし』 という曲があるのですが、先週の練習でワタクシ初めて  “みずすまし”  と “アメンボ”  が同一の生き物でないことを知りました 心に響く哲学的な歌詞が好きだったのだけど・・・ “みずすまし”  の写真見るんじゃなかったー。 こういうボディーの虫、苦手なんですよねー

現在10月13日午後7時40分。 雨の勢いが増してきました。 非常に大きい雨音が聞こえます。
北上中の、大型で強い台風19号 明日未明、関東に最接近するようです。
どうか大きな被害が出ませんように。
新宿混声団員の皆さん、夜の練習には影響なさそうです。 元気でお会いしましょう

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コメント

  1. ひろりん より:

    そういえば、今年は金木犀の香り、忘れてました。
    2度の大きな台風で、香る前に散っちゃったのかしらと思っていました。
    2回目の香に期待します!

    さて、かおり と言えば、昨晩、私たちのヴォイストレーナーでいらっしゃる
    大網かおり先生の出演される、歌劇「ラ・ボエーム」に新混のメンバー5人で行ってきました。
    代々木上原の100人ほどの小さなホールでした。
    外は台風によるものすごい雨・風でしたが・・・そんなことは全く忘れてしまうほど素晴らしい舞台でした。

    とにかく、声量も演技も超・超・超すごかったです。
    もっと大きなホールで聴くような演奏をあの空間で、しかも、100人弱の観客で
    楽しめ、久々に充実した濃密な時間でした。
    大網先生演じるミミの最後のシーンでは、一同ジーンとなり泣けてくる人も・・・
    すっかり涙もろくなった私たちでした。

    というか、演技と、何よりもあの声に、涙が流れたのだと思います。

    決してオーバーな感情表現ではなくて、歌い手さんたちの技術がそうさせたのだと思いました(私が言うのも偉そうですが・・・)
    これは、常々、私たちの指揮者田中先生がおっしゃっていることですね。

    こんな素敵な先生からヴォイトレのご指導を受けていることに、幸せを感じました。

    さて、今日は台風一過の快晴。練習は予定通りです。
    ほんの1センチでも、昨日の歌声に近づけるよう、頑張りたいと思います。

  2. 栗の樹 より:

    やっちさん、お疲れ様です。私は4回目の投稿かな?

    キンモクセイの香り、いいですよね。ゴルフ場でホットすることが何回かありました。

    バッハのモテット、なかなか好きになれないですね。でも「嫌いにならない」と言う言い方いいですね。往復の新幹線で「bach」と表紙に書かれたブルーの楽譜を持っているだけで何となくウキウキとはなりますが、開けると目まいがします。

    ところで、「心の四季」の「みずすまし」の件、私もアメンボと勘違いしていました。なので、ネットで調べてみました。

    水生昆虫図鑑で調べると

    A は、半はん翅し目(カメムシ目)カメムシ亜目 アメンボ科の昆虫。細くは○○アメンボと同定され「アメンボ」は総称。

    B は甲虫目(鞘翅目)オサムシ亜目ミズスマシ科の昆虫。こちらも「ミズスマシ」は総称。 ゲンゴロウの仲間です。池や流れのゆるやかな小川の水面をくるくるくるくる忙しく回っている昆虫のこと。体長六、七ミリで、驚くと素早く水中に潜る。潜る時に尻に水玉をひとつつけている。上下に分れた複眼を持っており、水中と水上を同時に見ることができる器用な虫である。水面を踊り狂うように見えるので「まひまひ」とも呼ばれる。

    広辞苑では、「みずすまし」の説明として①にBの「ミズスマシ」の説明がされ、②として「アメンボの俗称。特に俳句などに多い。」とあります。
    ただ俳句も両方で使われているようです。
    (アメンボのミズスマシ、水馬の句)
      夕暮の小雨に似たり水すまし   正岡子規
      水馬かさなり合うて流れけり   内藤鳴雪
      松風にはらはらととぶ水馬   高浜虚子
      水すまし水に跳ねて水鉄の如し   村上鬼城
      水路にも横丁あって水馬   滝春一
      打ちあけしあとの淋しき水馬   阿部みどり女
      陽が恋し吹かれ集るあめんぼう   沢木欣一
      八方に敵あるごとく水すまし   北山河
      流さるる快楽といふをあめんぼう   大山雅由
      あめんぼの輪より雨の輪増えて来し   西村和子

    (甲虫のミズスマシ、まひまひの句)
      まひまひや雨後の円光とりもどし   川端茅舎
      まひまひの小さき渦巻月のそば   高野素十
      しろがねの水くろがねの水すまし   西本一都

    もちろん、「心の四季」での「一滴の水銀のようなみずすまし」は、ときおり水に潜る、Bの甲虫と思われる。多くは黒いが、調べると水銀のようなみずすましがいた。

    ミズスマシは水辺の環境によく適応した甲虫の仲間で、北海道には6種類生息しており、最も大きな種類にオオミズスマシがいます。国内に生息するミズスマシの中ではオキナワオオミズシマシに次いで大きく、体長は12ミリほどもあり、お尻のそばに大きなトゲを持っているのが特徴とあります。

    ついでに「心の四季」について調べますと、あまりの多くの合唱団で歌われていて、説明するまでもないでしょうが、ある合唱団が載せていたコメント引用します。
    第一曲<風が>
    この第一曲は、
    「風が桜の花びらを散らす 春がそれだけ弱まってくる ひとひらひとひら舞い落ちるたびに  人は見えない時間に吹かれている」と始められる。
     風に吹かれて舞い落ちる桜の花びらを見ていると、春が刻一刻弱くなっていくようだ。私たち人間も見えない時間に吹かれてやはり弱くなっていく。人々はそれに気付いて生きているのだろうか?
    第二連は、
    「光が葡萄の丸い頬をみがく 夏がそれだけ輝きを増す 内に床しい味わいを湛え  人は 見えない時間にみがかれている」である。
    「雨が銀杏の金の葉を落とす 秋がそれだけ透き通ってくる・・・・」そして、
    「雪がすべてを真白に包む 冬がそれだけ汚れやすくなる・・・・」
    あの清らかな雪が汚れやすくなる?と私たちは思う。この「雪」については第六曲<雪の日に>でもう一度たっぷり歌われるが、この第六曲について書く時、山形県出身の吉野さんからきいた東北の雪の話をじっくり書きたいと思っている。
    この第一曲に題をつける話になった時、吉野さんは「<見えない時間>はどうでしょう」といわれた。この曲への○×式の答えは<見えない時間>が○であろう。しかし、吉野さんは日本の四季を見事に、四連にそれぞれ書いておられる。私はさりげなく最初のことば<風が>を提案し賛成してもらった。
     私は、この時の芸術祭番組を吉野さんの詩でと決めたのは、高野喜久雄さんの詩集『闇を闇として』の巻末に解説を書いておられる吉野さんを読んでのことである。そしてすぐ作曲し始めたのは”I was born”という詩だった。途中にこんなところがある。
    「・・・やっぱりI was bornなんだね・・・
    父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
    ・・・・I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね・・・・」
    少し作曲が進行した頃吉野さんが私の家に来られたが、彼はこのことを知るとすぐ「この詩は作曲には全く向かないから」といい、それから総計では三十を超える詩を書いて送って下さった。
     私は、作曲に向いても向かなくても、これと思う詩に曲を付けていってしまう種類の人間ではあるが、この時は吉野さんの計画に従うこととしたのであった。
     三十数編の詩の中には、すでに同じ題名で詩集の中に載せられている詩も数多くあり、同じ主題で表現が変えられているといえばよいのであろうか。新しい書き下ろしはこの組曲の第一、第五、第七曲に当てられている三つの詩のようであった。
    第二曲<みずすまし>
    「一滴の水銀のような みずすまし・・・・」それは「時折 水にもぐる」と。そして「あれは 暗示的なこと」とこの詩はいう。
     われわれ人間は分厚い日常という名の水面に浮いていて、もぐらないし、もぐれないままである。
     「潜水の経験のあるものは誰も」と元の詩にあったように覚えているが「身体を締めつけ押し返す水の力を知っていよう」と。
     しかし、「みずすまし  あなたが死ぬと  水はその力をゆるめ むくろを水底へ抱きとってくれる」と、そして「それは水すましには知らせない 水の やさしさ」と。
     「水すまし  あなたが」ではなく、「水すまし  お前が」ではないだろうか?といった人もあったが、吉野さんはこのようなことば遣いの人なのである。
    そして第三曲<流れ>
     豊かで大らかな流れ。その水流を噛む馬のように流れに逆らう岩。水中には強靭な尾で水を蹴り遡っていく魚。豊富な水流は、むしろ卑屈なものたちを、川下へ、川下へと押し流している。
    第四曲<山が>
    「山が遠くから 人の心を とりこにする 人が その心を さがしにゆく それで身体ごと とりこになる」
    山の澄んだ空気。響き合うエコー。山の地方。遠近の山々。歌う人たちも聴く人たちをもその澄んだ空気の中へつれて行けたらという願いの曲である。
    第五曲<愛そして風>
    「愛の疾風に吹かれたひとは 愛が遥かに遠のいたあとも ざわめいている 揺れている」
     枯草は、風が走ればそよぐが、風が去れば、素直に静まる。
     どうしてだろう?ひとだけは、過ぎた昔の愛の疾風に、いつまでも吹かれざわめき、その思い出を歌うことをやめない。
    第六曲<雪の日に>
    日本の豪雪地帯の雪について吉野さんは私に次のような話をされた。
     「日本の中部、西部、南部の雪はとして降る。あたりをうっすらと雪化粧し、翌朝十時ごろには太陽の光を受けて溶け始め、昼ごろまでには消えていってしまう。」
     しかし東北の雪は違う。十一月半ばすぎに降った雪は根雪となって残り、翌年の春までそのままである。そしてそれは、石炭の煙や車の跳ねる泥でたちまち汚なくよごれていく。その汚れをかくそうとするかのようにまた雪が降ってくる。それが繰り返されると雪の断面は黒と灰白色の段々の層になって更に汚れたものになる。それらすべてを包もうとするかのような雪がまた降って来る。そして、それは窓からみても隣りの家も見えない程の激しさで一日中降り続き、翌朝起きて見てもその激しさは全く衰えず、まるでおさえ切れない人間の精神のように激しく、その上へその上へと降り続けるである。
    この曲の中で持続されるfはそのfなのである。そして次のように始められる。
    「雪がはげしく ふりつづける
    雪の白さを こらえながら
     欺きやすい 雪のしろさ
     誰もが信じる 雪の白さ
    信じられている雪は せつない」
     東北の雪のfである。しかしそれでもまだ足りないものがある。それは歌っている人全体が、生来の「白」の性とともに空に生まれて来た東北の雪になり切ることではないだろうか?
    そしてその次の二行。
     「どこに 純白な心など あろう
      どこに 汚れぬ雪など あろう
     「この二行を歌うのはいやだ」といった女性指揮者がいた。それを私は吉野さんに伝えた。彼は「心の清い人ほどこう思うのではないでしょうか?」と答えた。
    「心?それはもともと清らかなものさ」と思っている人にはこの歌はわかってもらえないと思う。
    特に次の箇所。
     「雪はおのれを どうしたら 
    欺かないで生きられるだろう
    それが もはや
    みずからの手に負えなくなってしまったかのように
    雪ははげしく ふりつづける」
    「自分で自分を欺くことだけは」という最後の願いすら自分の手に負えなくなってしまったかのように雪ははげしく降っている。
     私はこの「もはや」の箇所で、その思いを伴奏のピアノの右手のアルペジオ下降型に込めたつもりである。歌っている人もよくきいてほしいと思う。
    終曲<真昼の星>
    <雪の日に>でこの組曲を終わった方がよいと思った人も昔はあったが、今はすべての人が<雪の日に>の余韻の中で、この<真昼の星>のなぐさめを味わいながら、この組曲をきき了えてくれている。
    「ひかえめな 素朴な星は 真昼の空の 遥かな奥に きらめいている 目立たぬように・・・」と。

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    「ひたすらないのち」(カワイ出版)

    最後に、昨日の主役、大綱先生の指導コメント、「全てのフレーズ、いちいち感動しながら歌うように心掛けて下さい」と。少しでもそうありたいと思います。